2026.06.01

朝、母親がうちの鍵を開ける音で目覚めた。ルゥちゃんも、何事かと思って、飛び起きていた。母親は、ルゥちゃんが散歩に行きたがるからと、もともとは足の捻挫とルゥちゃんのトリミングがあるから、10時にくるはずだったところを、7時半ぐらいに来てくれたそうだ。ありがたい。僕はぼんやりと起きた。

めちゃくちゃに冷やしまくっていたからか、左足の痛みはだいぶ引いてきた。捻挫でよかった。骨は大丈夫そうだ。

嵐の配信が早く見たいのだけど、見逃し配信はまだ準備中らしく、大人しく待つことにする。

足を引き摺りながら、母とルゥちゃんとパン屋へ。綺麗な人が可愛がってくれて、なんだか和んだ。サロンを経営しているらしく、ものすごく洗練されていて、穏やかな人だった。こういう出会いがあるから、散歩は楽しい。

帰ってきて、母と久しぶりのゆっくり時間。午後にはエアコンのフィルター清掃の人が来るから、それまでゆっくりしていようと思う。

母が今、僕の描いている新作の小説をじっくりと読んでいる。少し緊張もありつつも、なんだか読んでもらえることはやっぱり嬉しいことで、胸がちょっと恥ずかしさを帯びている。

母に添削をお願いしたら、マジ添削会が始まった。かれこれ、30分ぐらい何も話さないで添削をしている。なんだかんだでこういう集中力は似ているところがあるなと思う。

ベッドのシーツを洗おうと思ってシーツを剥がしたが、ルゥちゃんがおしっこをした後がたくさんマットレスに染みていた。きっと小さい頃におトイレを覚えていない時だと思って、なんだか微笑ましくなった。小さなことだけど、こういうところで成長を感じて、少しだけ心が柔らかくなる。何ページも日記を書いてきたけれど、自分はルゥちゃんがきた時に何を考えていたのだろうか。10月にきたから、その頃は日記を書いていなかった。日記を書き始めて、早いもので半年以上が経った。自分の人生が全て残っているサイトとこの本は、自分にとっては宝物だなと思う。いつか、3年ぐらい続けたら、きっとすごいことになるのだろうなと思っている。

エアコンのフィルター掃除のおじさんがきた。すごく快活で明るい玄関での挨拶は、僕のことを心底安心させてくれて、ここに頼んでよかったと思った。今はエアコンがある部屋は掃除用具で埋め尽くされているので、僕はキッチンに、母親はベッドの上にのんびりと居座っている。意外とこういう時間も悪くないなと思った。キッチンで書く日記も小説も、なんだか生きている感じがして好きだ。

ふう、ルゥちゃんがトリミングから帰ってきて、のんびりまったり。トリミングに迎えに行く前に、母とパン屋でのんびりと昔話をした。小学校の頃は大変だったねえ、と僕が言ったら、きっと我慢して言わなかっただけなんだね、私は全然知らなかったと言われ、少し驚いた。確かに、母には何も、その時は言ってなかったのかもしれない。

先日の飲み会で、ちょっと印象的に残っている言葉がある。カフェのオーナーさんから言われた、「自分らしさって、なんだと思う?」という質問。

すぐに答えることができずに、結局は「人のことを平等に見つめること」と答えたのだけど、なんだかしっくりこなくて、一晩考えていた。そして、嵐の配信や、今日の生活を振り返って、自分なりの答えが見つかった。

それは、「みんな生きてる」ということ。

不器用でも器用でも、体が不自由でもなんでも、みんな生きている。それが、僕の思う自分の心の「自分らしさ」なんだなと思う。

一人一人の命を尊敬する。同じ星で、偶然同じ時間の中で「生きている」。大切にしたい考え方だし、感覚だなと思う。

だんだんと夜になってくるにつれて、静けさが心の中を埋め尽くす。この時間帯はやっぱり苦手で、誰かの声が恋しくなる。カフェにでも行こうかと考えるが、そういう気分でもない。うーん、どうしたものか。

結局カフェに来た。ちょっと足の痛みは残っているが、一人でいてもなんだか寂しさに苛まれそうだなと思ったから。

カフェに来ると、軽快な音楽に合わせて筆が進む。家だと歌詞のある音楽を聴きながら書けない小説が、カフェだとなぜか書ける。不思議なことだ。

あっという間に過ぎる時間の中で、最近は日記を書いているからか、ふと思い出すことが増えた。小学校のこと、中学、高校、大学。断片的ではあるが、なんとなくその場の雰囲気は覚えていて、同じ温度が胸の中に蘇る。人間の心は不思議だなと思う。

なんとか足を引き摺りながらカフェから帰宅。歩いている時は来たことを後悔したが、カフェでエッセイを一本と短編を一つ書けたから、まあよかった。今書いている短編『喫茶ファンタジア』は、頭のネジを外さないと書けないから、こういう晴々とした日じゃないといけない。カフェに行ったら気持ちが晴れ晴れしてきたので、書いた。

幸せって、こういうことなんだよなぁ、と、左足をアイスバッグで冷やしながら、僕の足の上で眠るルゥちゃんを見て思う。きっとこれからも、たくさん、たくさん、たっくさんの幸せを味わうことになるのだろうなと思ったら、明日もまた生きようと思う。こんなことが思える日が来るなんて、きっと昔は思っていなかった。それぞれの場所で、それぞれが生きている。それは、道端に咲いている花も同じ。さようなら、なんてことはきっとなくて、どこまでも命は続いていく気がする。そして、何回も何回も、歩む。

そう考えたら、というかいつも考えているけれど、生きるっていうのは、なんだか暖かいなあ。

さて、風呂にでも入ろう。そういえば、パックの袋が無くなっていたから、新しいのを開けなくちゃ。あれ、開けにくいんだよなあ。

人にはそれぞれ、進んでいくペースがある。それはきっと、早いとか遅いとかじゃなくて、なんだろうな、うまい言葉が見つからないや。でも、焦らなくていいってことは、今までの人生で、痛いほど学んだ。どんなに辛いことがあっても、何年、何十年経ったら、それを経験して良かったなと思える。そんなチンケで適当で、でも美しいのが人生なんだよね。みんな頑張っているから、頑張る。理由はきっと、単純でいいはずなんだ。